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【アラベスク】  第15章 薄氷の鏡



第2節 似て非なる [9]




 現実かと錯覚してしまいそうなほど鮮やかに広がる幻想の世界。そんなゲームの世界に浸りつつある緩の顔と、そして手にする衣装を交互に見比べ、幸田がゆっくりと口を開いた。
「これは確か、今人気のゲームに出てくるキャラの衣装ですわね」
「え?」
 心内を見透かされたのかと思い、緩が思わず衣装から手を離す。幸田は口元を緩めて首を傾げた。
「砂漠の世界を舞台にしたゲームでしたかしら。異国的(エキゾチック)で、でもシナリオもしっかりしているから人気だとか。絵も綺麗だから、表紙を飾ったり特集を組んだりした雑誌は売り上げが伸びるってネットで読みました。有料のアバターアイテムだとかデコメアイテムはすごい売れ行きだとか。確かシリーズ化されてましたよね?」
「え、えぇ、えぇそうですっ」
 声が上擦る。
「ただ選択肢を選ぶだけじゃなくって、ゲーム性もあってマップの上をキャラを動かして戦闘もできるんです。すっごく楽しいですよ。音楽も綺麗だし」
 知らずに身が乗り出す。
「ご存知なんですか?」
「やった事はありませんけど、知ってはいますよ。だって大人気なんですもの」
「すっごく面白いですよ。一度やってみて下さい」
「御免なさい。私、ゲームはしませんの」
 少し目尻を下げる相手に、緩はハッと片手で口を押さえた。
 私、何を興奮しているんだろう。少し話が合ったくらいでこのように取り乱してしまうなんて。
 恥かしさと、そしてゲームはしないという相違点を見つけたことによって、緩の興奮は一気に冷める。
 そうだよね、何でもわかりあえる人なんて、いるワケないよね。
「あの、すみません、私そろそろ」
 後悔を抱えながら顔を背けた緩に、だが幸田はやんわりと答える。
「ゲームはやった事ありませんけれど、登場人物の衣装は知っていますよ。公式HP(ホームページ)で見ますから」
「ホームページ?」
 ゲームもしない人間が、なんでゲームの公式HPを見るのだろう?
 怪訝そうな緩の視線を受け、それでも幸田は笑ったまま。
「衣装を作る時の参考になりますの。最近のゲームやアニメの衣装は本当に参考になりますし、刺激にもなりますわ」
「あの、参考って?」
「私、お裁縫が得意なんですよ。それでね、奥様に頼まれて、よくいろんな衣装を作ったりするんです。素材が決められているので制約もありますけれど、あれこれデザインを考えるのって、とっても楽しいのですよ」
「お、奥様?」
「えぇ、私、お屋敷で使用人勤めをしておりますの」
 言いながら幸田は自分の両手で緩の右手を包んだ。
「ねぇ、もしよろしければ、一着私にご協力してくださいません?」
「協力?」
 パチクリと瞬きをする緩に、幸田はやはりニッコリと笑う。
 衣装を作るのは、基本的にはゲームで使用されたイラストなどを基に再現するのだが、ゲームは所詮は架空の世界。そのイラストをそのまま創っても成功するとは限らない。
 実際に形にしてみるとイラストのように上手くデザインできない部分も多いし、明らかに(いびつ)になってしまう部分もある。そこをいかに忠実に再現するかが腕の見せ所でもあるのだが、実際には身体に合わせて修正していく事になる。最近では衣装を作る事を前提にゲームのイラストが作成される事もあるが、それでも手作りで作ろうとするとやはりモデルは必要だ。
「別にわざわざ私がモデルにならなくても、もっとスタイルの良い人を選ぶべきです」
 申し出を聞いてたじろぐ緩に、幸田はキッパリと答える。
「こういったモノを作る場合、重要なのはスタイルではなく心です」
 そ、それって、私のスタイルは良くないって事?
 そんな緩などお構いなしで、幸田は右の掌を自分の胸に当てる。
「衣装を着て、その気になってくださる人でなければいけません」
「その気?」
「その衣装を着て、ゲームの世界を駆け回るキャラに成り切れる人です。その為にはまず、キャラの事を詳しく知っている人でなくてはいけません。第二にそのキャラを愛している人」
 幸田は左手の人差し指と中指を立て、さらに薬指も立てる。
「第三に、その衣装を着たいと思っている人」
「はぁ」
「あなたのようにゲームを愛している方なら、モデルにピッタリです」
「あの、でも私、そんな、ゲームを愛しているだなんて」
「あら、どうして? だってさっきゲームの話をしていた時、あなたはとても瞳がキラキラ輝いていて楽しそうでしたわ」
 面白いからやってみろと身を乗り出した自分を思い出し、緩は頬が熱くなるのを感じた。だが幸田は、そんな緩の肩を優しく撫でる。
「実を言うと、次にどんな服を作ろうか、いろいろ迷っていたところなのですよ。もしあなたが協力してくださるというのなら、衣装選びはあなたに任せます。『ラブ・アラベスク』のどのキャラの衣装をお望みなのか、教えてくださいません?」
 囁かれると、緩の胸の内が(うず)く。
 あのゲームの、あの世界の人たちと同じ服が着れる。しかも、私の身体にピッタリの衣装を作ってもらえる。
 衣装を着て、ゆっくりと一回転する自分を想像する。
 綺麗。
 例えようもない至福に包まれる。
 着てみたい。
「誰にも言いませんわ」
 その声はまるで蕩けるチョコレートのようで、緩はコクンと頷いてしまった。



 この人さえ誰にも言わなければ、バレる事はない。そう、この人さえ何も言わなければ。
 そう約束したはずだったのに。
 緩は膝の上でかたかたと拳を震わせる。
 向かいに座るのは、同じ唐渓の制服を着た上級生。だが、ただの上級生ではない。年上とも思いたくない、同じ学校に通っているとも認めたくない、そもそも顔も見たくない相手、大迫美鶴なのだ。
「幸田さんと知り合いだったんだ」
 相手の言葉に、緩は無言で顔を逸らす。
 言葉も交わしたくない。
 どうしてこのような事になったのだっ!
「お待たせしてすみません」
 応接に二人を残して一度部屋を出た幸田は、ワゴンを押しながら戻ってきた。三人分のココアの、甘い、でも少しだけホロ苦そうな香りが冷えた身体に沁みこんでいく。だが緩は、幸田がカップをテーブルに置き終える前に立ち上がった。
「すみません、私、用事があるもので」
 返事も待たずに扉へ向おうとする背中に、幸田が慌てて声を掛ける。
「あの、お身体はもうよろしいのですか?」
「大丈夫です。お手数をお掛けして申し訳ありません」
「そんな事は気になさらないでください」
 言いながら小走りに駆け寄る。
「せめてお茶くらいお飲みになってから」
「いいえ、結構です」
「あの、では衣装の件も後日という事で」
 緩は勢いよく振り返った。幸田と向かい合いながら、視界の端に大迫美鶴がチラリと見える。
 どうしてあの女の前でコスプレの話をするのよっ!
 だが、抗議をしようにもどう言えばいいのかわからず、ただ口をわなわなと震わせるだけの緩。そんな相手に、幸田は少し首を傾げる。
「緩さまのご都合のよろしい日を教えてください。できる限りそちらに合わせます。衣装を作るのは一日でできる事ではありませんし、私一人でもできる事はありますから」
「どうしてっ!」
 遂に緩は叫んでしまった。
「どうして他人の前で衣装の話をするのよっ!」
「え?」
「言わないって約束したでしょう? 誰にもコスプレの服の話はしないってっ!」
 両手の拳を握りしめながら乗り出す。
「どうしてバラすの?」
「あの」
「ひどいわっ 約束を破るなんてっ!」
 誰にも知られたくなかったのに。よりによってあの女に知られてしまうなんて。







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